イタリア共和国
●トレンティーノ=アルト・アディジェ州
ドロミーテ
トレンティーノ=アルト・アディジェ州は南チロルと言われ、スイス・オーストリアと接するヨーロッパ・アルプスを代表するエリアです。
トレント
トレントはスペインと同様に大自然の探索と歴史探索が同時に楽しめる観光地です。イタリア中心部から離れているせいか、短期のツアーではスルーされてしまうようですね。中世の建造物に関しては、スペインではイスラム建築が多いですが、ここでは完全にゴシック建築です。イタリア、フランスから見ると壁のようなピレネー山脈の向こうにあるスペインは、容易に人が近づけないヨーロッパ圏外という意識が強いようです。たしかにスペインはイタリアに比べると純朴で田舎的な雰囲気があります。南チロルはイタリアの中でも田舎的な雰囲気が濃い場所ですのでスペインと少し似ているかもしれません。
南チロルの旅 No.1
南チロルは地中海性気候ではないためスペインほど晴天率が高くありません。滞在型の旅に設定するのが良いでしょう。ハイキングコースも選択するのが困難なほど一杯あります。
南チロルの旅 No.2
ハイキングをやらずに眺めるだけでも素晴らしい景観を楽しめます。ハイセンスな北イタリアのイメージとは違って田舎的になってしまいますが。
ボルツァーノ
ボルツァーノはトレントからさらに北に60kmほど進んだところにあります。ドロミーテの山々は、もうすぐそこです。
ドロミテの文化
このビデオではドロミテの文化を簡潔に説明してくれています。ここは昔はオーストリアだったので、イタリア文化とオーストリア文化が混合しているエリアです。異なる文化が見事に融合しているのを見るのは素晴らしい体験です。また自然探求と歴史散策が同時に楽しめるので天候に合わせてプランを変更できるのも魅力となっています。※英語からの自動翻訳が利用出来ます
ドロミテ観光
オーストリアとの国境まで来るとドロミテを存分に楽しむ事が出来ます。スイスほどには知られていないかもしれませんが圧巻です。一部上のリンクと内容が重複します。※英語からの自動翻訳が利用出来ます。
プエツ・オドレ自然公園
プエズ・オドレ自然公園はゴンドラで登れるため人気が高いエリアです。中でもセチェーダにある岩山をリング状に巡るルートの景観はどこを取っても素晴らしいです。
ヴァル・ディ・フーネス
プエツ・オドル自然公園にあるヴァル・ディ・フーネスの山麓周回コースを楽しんでいるビデオです。あまり高低差のない遊歩道ですが展望だけは申し分ないルートです。
オドレ山脈 フルケッタ山
フルケッタ山は3025mオドレ山脈群の最高地点です。一般登山客は周回コースから眺めるだけになりますが、もちろんクライミングを行う強者も大勢います。
オドレ山脈 フルケッタ空撮
こちらはドローンによるフルケッタ山周辺の空撮です。しっかりと登っておられる方が大勢います。岩の登攀よりもザレ場が相当きつそうです。
パイトラーコフェル
パイトラーコフェル(イタリア語でSasso Piatto)は岩山の独立蜂となっています。
ザイザー・アルム(イタリア語:Alpe di Siusi)はドロミテに広がるヨーロッパ最大の高地アルプス草原であり、このエリアを歩きながら眺める事ができます。ひとり乗りのゴンドラなんてあるのですね。「もはやサウナだ!」と暑くて悲鳴を上げています。
※イタリア語から日本語への自動翻訳が利用出来ます。
サス・リガイス山
サス・リガイス山(3025m)は隣にそびえているフルケッタ山と600mしか離れておらず標高もほぼ同じです。しかしながら傾斜角度が少し緩いため、一般登山客でも鎖を使って挑戦しています。難易度は高いコースなのは言うまでもありません。
パイトラーコフェル登頂
このビデオではパイトラーコフェルに登頂します。
ドロミーテでは山の名前は大抵ドイツ名、イタリア名、ラテン名と3つもあります。
ドイツ名:Peitlerkofel、イタリア名:Sass de Putia、ラテン名:Sas de Putiaです。
トレ・チーメ自然公園
トレ・チーメ(Tre Cime)とはスリー・ピークスの意味で、文字どおり3つの特徴ある岩山が見事な公園です。お隣のヴェネト州との境界にありドロミーテの中では一番東側に位置しています。一般登山客は眺めるだけですが、世界中のクライマーが挑戦を挑むドロミーテのシンボルのような場所です。
※イタリア語から日本語への自動翻訳が利用出来ます。
トレ・チーメ トレッキング
20分と少し長いですが、大混雑の中トレ・チーメを撮影してくれているビデオです。最後の夕暮れは素晴らしいですね。
トレ・チーメ空撮
2分と短いですがトレ・チーメを空撮してくれているビデオです。
●フリウリ=ヴェネツィア・ジュリア州
ヴィーディネ
スロベニアとの国境近くにある歴史ある街ウーディネを空撮してくれているビデオです。遠くに見える山々はジュリアン・アルプス山脈でここも大勢の観光客が訪れるエリアです。
トリエステ
スロヴェニアとの国境近くにあるトリエステは第一次世界大戦前まではオーストリアに属していました。また文化的には、カソリックに属していますが独自様式の東方典礼教会が多くクロスカルチャー的要素の濃い街です。
トリエステの歴史
トリエステの街が他のイタリアの街とは違うことについて説明してくれています。
アドリア海が西方向にあるため夕暮れは最高に美しくなります。
※英語から日本語への自動翻訳が利用出来ます。
トリエステ ジガンテ鍾乳洞
イタリアとスロベニアの国境は広大なカルスト地形になっており、人が住めない穴だらけの土地で鍾乳洞が数多く形成されています。全部がつながっているのだと考えれば文句なく世界最大ですが、ジガンテ鍾乳洞は単一の鍾乳洞でもヨーロッパ最大級で自然が作った宮殿と言われています。またヨーロッパ最大の鍾乳洞は同じエリアにあるスロベニアのポストイナ鍾乳洞とも言われています。
ミラマーレ城
ミラマーレ城の周辺を散策しているビデオです。ただ歩いているだけですがアドリア海に完璧に溶け込んでいるミラマーレ城の美しさがよく伝わってきます。アドリア海が美しいだけに「夢のような世界」と言われることがあります。
●ヴェネト州
ドロミーテ ベッルーネシ国立公園
こちらは40分と長いドロミーテのハイキングビデオです。トレントから東に進んで行くとヴェネト州にはいります。こちらはドロミーテの中でもあまり観光地化されておらず静かに自然を楽しむ事が出来ます。また岩山を環状に回るハイキングコースを中心に様々なレベルの登山道が用意されています。※イタリア語から日本語への自動翻訳が利用出来ますが、かなり熱く語っています。
マドンナ・デッラ・コロナ教会
崖の上に建てられた美しい教会です。イエス・キリストの墓がここにあるのは不思議ですね。エルサレムの聖墳墓教会にあると言われてはいますが。それが本当なら生きてこの場所にイエス・キリストが来られことになるでしょうか?。でもイスラム教を創設したムハンマドはなんと「イエスは十字架では死んでいない。」と言い出してしまったのです。それは非常にもめるはずですね。でも、それでは一体どちらに行かれたので?という疑問が沸き起こります。 ピラト総督がイエスを国外追放にしてローマあたりに送ったのであればイエスの墓がここにあるのは不思議ではありませんね。現在のバチカン市国がローマにあるのもうなずけます。 この奇跡のような教会は歴史の奥深さを教えてくれているように思います。
マドンナ・デッラ・コロナ教会 空撮
こちらはマドンナ・デッラ・コロナ教会の空撮です。一般常識では中世において教会をこの場所に建設する事は不可能な事がわかります。その為には英知と技術とモチベーションが必要です。一体、それは何だったのでしょう?
●バチカン市国
サン・ピエトロ大聖堂 No.1
バチカン市国はローマにある小さな国で、カソリック・キリスト教会の総本山です。その大きさと美しさには圧倒されるばかりです。
サン・ピエトロ大聖堂 No.2
このビデオではサン・ピエトロ大聖堂の内部を見せてくれています。2025年4月21日にフランシスコ教皇が逝去されました。教皇はアルゼンチン出身の方で、多宗派間の対話や協力に力を注がれており、さまざまな宗教間の交流を促進され、2015年には54年ぶりに米国とキューバの歴史的な国交回復を仲介されたりしています。多宗派間の対話に関しては、特にイスラム世界に精力的に訪問されておりました。また司祭が同性カップルを祝福することを承認されたりしています。

日本人から見ると、キリスト教とイスラム教は歴史的にいつも戦っているイメージかと思います。たしかに同じ聖典を使用しているとはいえ教義が違うことは確かです。でも、それが故に、何と何が戦いのねたになっているのかわかりにくいです。
そこで日本人的視点で両方から一切の教義的内容を削除して考えてみました。すると意外にすっきりします。
戦っていたのはキリスト教会の聖職者を頂点とするピラミッド型の権威主義的コミュニティと、イスラム共同体を単位とする中心を持たない網目状のコミュニティとの闘い、ということになります。そうなると「あれ?現代も同じなのでは?」という気がします。インターネットで接続された世界規模のコミュニティと、これを阻止しようとする独裁政権との闘い、と見ることは可能かもしれません。
ムハンマドが言いたかったのは、せっかくイエスによって人類が獲得した「何者にも束縛されない自由な魂でいる喜び」は権威主義社会においては享受する事が出来ない、という事のようです。
中世におけるスペインでユダヤ教、キリスト教、イスラム教が見事に融合していたのも権威主義社会ではなかったから出来た事だったのでしょう。残念ながらレコンキスタによって再びスペインは権威主義社会へ戻ってしまうことになりますが、一度輝いた光は決して消せるようなものではなかったのでしょう。


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