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イタリア共和国
ベスビオ火山 ナポリの南に位置するあまりにも巨大すぎる火山です。歴史的にも西暦79年の噴火は有名で、火砕流によりポンペイとヘルクラネウムは都市ごと消失しました。推定1万人近い方が亡くなったとされています。 また1880年に「フニクリフニクラ」という愛称のフニコラーレ登山鉄道が建設されましたが1944年の噴火で消失しています。 現在は登山口より徒歩で火口まで登ることになっていますが、悪天候になると数時間から丸一日閉鎖されてしまいます。ビデオ撮影にこられた方も山が閉鎖されたたため不本意ながら下山していました。 ※英語から日本語への自動翻訳が利用出来ます。
ベスビオ火山の噴火 西暦79年の噴火でポンペイの街が消失した原因は火砕流のようです。災害大国の日本でも見られる現象です。関連するビデオも沢山ありましたが、比較的短いものを探してみました。発掘された遺跡を見ると逃げながら亡くなっていたり、抱き合いながら亡くなっている姿に胸を撃たれます。人間は誰しも何らかのコミュニティーに属して生きようとする社会的な生物ということなのかもしれません。 ※英語から日本語への自動翻訳が利用出来ます。
ポンペイの遺跡 ユネスコの世界遺産にも登録されたポンペイの遺跡を中心にめぐるビデオです。ポンペイはいまだに発掘調査がなされている遺跡です。皮肉な事ですが火砕流の層が非常に良好な保存状態を作り出して当時の様子を現代に伝えてくれているようです。
ナポリ No.1 ナポリは13世紀から19世紀の長い間ナポリ王国でした。またスペインのアラゴン王国と連合国家となっていた時代もあります。現代でもナポリとスペインのバルセロナを結ぶクルージングは人気の高い観光コースです。またギリシャへ向かうクルージングコースもナポリから出航します。
ナポリ No.2 ナポリの街の魅力的な部分を簡潔に伝えてくれているビデオです。ナポリには観光客が足を踏み入れてはいけない場所もあるのでガイドさんと一緒に歩くのが良いかもしれません。 ※英語から日本語への自動翻訳が利用出来ます。
ナポリ No.3 こちらのビデオは、どちらかというとナポリの美味しいものに焦点を当ててくれています。 ※英語から日本語への自動翻訳が利用出来ます。
ポジターノとアマルフィ海岸 ナポリの南に位置するポジターノはヨーロッパでは高級リゾート地として有名です。スペインのシッチェスも同様に高級リゾート地として名高いですが、一見してすぐにイタリアにはレインボーの旗がないことに気づきます。イタリアはスペインほどLBTGQを受け入れていないのです。(ビデオは7年前と少し古いのですが、現在も、あまり変わってないようです。北イタリアは少し違うようですが。)同じラテン系でカソリックで国民性も似ているのに不思議ですね。やっぱり国民性は違うということなのかもしれません。何故なのかはわかりませんが、バチカン市国の影響で保守的な考え方の人が多いからかもしれません。一方、スペインはイスラム世界であった時代もあるせいか、多様性を受け入れる考え方が国民に根付いているように感じます。
ドロミーテ トレンティーノ=アルト・アディジェ州は南チロルと言われ、スイス・オーストリアと接するヨーロッパ・アルプスを代表するエリアです。
トレント トレントはスペインと同様に大自然の探索と歴史探索が同時に楽しめる観光地です。イタリア中心部から離れているせいか、短期のツアーではスルーされてしまうようですね。中世の建造物に関しては、スペインではイスラム建築が多いですが、ここでは完全にゴシック建築です。イタリア、フランスから見ると壁のようなピレネー山脈の向こうにあるスペインは、容易に人が近づけないヨーロッパ圏外という意識が強いようです。たしかにスペインはイタリアに比べると純朴で田舎的な雰囲気があります。南チロルはイタリアの中でも田舎的な雰囲気が濃い場所ですのでスペインと少し似ているかもしれません。
南チロルの旅 No.1 南チロルは地中海性気候ではないためスペインほど晴天率が高くありません。滞在型の旅に設定するのが良いでしょう。ハイキングコースも選択するのが困難なほど一杯あります。
南チロルの旅 No.2 ハイキングをやらずに眺めるだけでも素晴らしい景観を楽しめます。ハイセンスな北イタリアのイメージとは違って田舎的になってしまいますが。
ボルツァーノ ボルツァーノはトレントからさらに北に60kmほど進んだところにあります。ドロミーテの山々は、もうすぐそこです。
ドロミテの文化 このビデオではドロミテの文化を簡潔に説明してくれています。ここは昔はオーストリアだったので、イタリア文化とオーストリア文化が混合しているエリアです。異なる文化が見事に融合しているのを見るのは素晴らしい体験です。また自然探求と歴史散策が同時に楽しめるので天候に合わせてプランを変更できるのも魅力となっています。※英語からの自動翻訳が利用出来ます
ドロミテ観光 オーストリアとの国境まで来るとドロミテを存分に楽しむ事が出来ます。スイスほどには知られていないかもしれませんが圧巻です。一部上のリンクと内容が重複します。※英語からの自動翻訳が利用出来ます。
プエツ・オドレ自然公園 プエズ・オドレ自然公園はゴンドラで登れるため人気が高いエリアです。中でもセチェーダにある岩山をリング状に巡るルートの景観はどこを取っても素晴らしいです。
ヴァル・ディ・フーネス プエツ・オドル自然公園にあるヴァル・ディ・フーネスの山麓周回コースを楽しんでいるビデオです。あまり高低差のない遊歩道ですが展望だけは申し分ないルートです。
オドレ山脈 フルケッタ山 フルケッタ山は3025mオドレ山脈群の最高地点です。一般登山客は周回コースから眺めるだけになりますが、もちろんクライミングを行う強者も大勢います。
オドレ山脈 フルケッタ空撮 こちらはドローンによるフルケッタ山周辺の空撮です。しっかりと登っておられる方が大勢います。岩の登攀よりもザレ場が相当きつそうです。
パイトラーコフェル パイトラーコフェル(イタリア語でSasso Piatto)は岩山の独立蜂となっています。 ザイザー・アルム(イタリア語:Alpe di Siusi)はドロミテに広がるヨーロッパ最大の高地アルプス草原であり、このエリアを歩きながら眺める事ができます。ひとり乗りのゴンドラなんてあるのですね。「もはやサウナだ!」と暑くて悲鳴を上げています。 ※イタリア語から日本語への自動翻訳が利用出来ます。
サス・リガイス山 サス・リガイス山(3025m)は隣にそびえているフルケッタ山と600mしか離れておらず標高もほぼ同じです。しかしながら傾斜角度が少し緩いため、一般登山客でも鎖を使って挑戦しています。難易度は高いコースなのは言うまでもありません。
パイトラーコフェル登頂 このビデオではパイトラーコフェルに登頂します。 ドロミーテでは山の名前は大抵ドイツ名、イタリア名、ラテン名と3つもあります。 ドイツ名:Peitlerkofel、イタリア名:Sass de Putia、ラテン名:Sas de Putiaです。
トレ・チーメ自然公園 トレ・チーメ(Tre Cime)とはスリー・ピークスの意味で、文字どおり3つの特徴ある岩山が見事な公園です。お隣のヴェネト州との境界にありドロミーテの中では一番東側に位置しています。一般登山客は眺めるだけですが、世界中のクライマーが挑戦を挑むドロミーテのシンボルのような場所です。 ※イタリア語から日本語への自動翻訳が利用出来ます。
トレ・チーメ トレッキング 20分と少し長いですが、大混雑の中トレ・チーメを撮影してくれているビデオです。最後の夕暮れは素晴らしいですね。
トレ・チーメ空撮 2分と短いですがトレ・チーメを空撮してくれているビデオです。
ファネス・センネス・ブライエス自然公園 No.1 この自然公園もドロミーテの中にありますが、岩山ではあっても他のドロミーテほどには尖っていません。それだけに美しさは際立っていて楽園のようです。 ※英語から日本語への自動翻訳が利用出来ます。
ファネス・センネス・ブライエス自然公園 No.2 残雪多い時期に空撮しているビデオです。
ブライエス湖 No.1 ドロミーテの真珠といわれるエメラルドグリーンのブライエス湖を散策するビデオです。人気も高く夏はすごい混雑です。 ※英語から日本語への自動翻訳が利用出来ます。
ブライエス湖 No.2 滞在しているホテルを中心に撮影されたビデオです。
ヴィーディネ スロベニアとの国境近くにある歴史ある街ウーディネを空撮してくれているビデオです。遠くに見える山々はジュリアン・アルプス山脈でここも大勢の観光客が訪れるエリアです。
トリエステ スロヴェニアとの国境近くにあるトリエステは第一次世界大戦前まではオーストリアに属していました。また文化的には、カソリックに属していますが独自様式の東方典礼教会が多くクロスカルチャー的要素の濃い街です。
トリエステの歴史 トリエステの街が他のイタリアの街とは違うことについて説明してくれています。 アドリア海が西方向にあるため夕暮れは最高に美しくなります。 ※英語から日本語への自動翻訳が利用出来ます。
トリエステ ジガンテ鍾乳洞 イタリアとスロベニアの国境は広大なカルスト地形になっており、人が住めない穴だらけの土地で鍾乳洞が数多く形成されています。全部がつながっているのだと考えれば文句なく世界最大ですが、ジガンテ鍾乳洞は単一の鍾乳洞でもヨーロッパ最大級で自然が作った宮殿と言われています。またヨーロッパ最大の鍾乳洞は同じエリアにあるスロベニアのポストイナ鍾乳洞とも言われています。
ミラマーレ城 ミラマーレ城の周辺を散策しているビデオです。ただ歩いているだけですがアドリア海に完璧に溶け込んでいるミラマーレ城の美しさがよく伝わってきます。アドリア海が美しいだけに「夢のような世界」と言われることがあります。
トリエステ ドゥイーノ城 ドゥイーノ城は観光地としてはあまり知られていませんが、海を見下ろす険しい岩壁の上に建てられ、広大なパノラマを楽しめる場所です。地元の人たちは結婚式の披露宴などをやったりしています。
トリエステ ドゥイーノ城 披露宴 こんな素晴らしい場所で披露宴だなんて!さすがはイタリアです。
グラン・パラディーゾ国立公園 No.1 グラン・パラディーゾ国立公園の特徴はたくさんの湖と滝があることで高山植物も豊富です。日本での知名度は非常に低いのが不思議なのですが、自然愛好家であれば、グラン・パラディーゾはドロミーテと並んでイタリアで最も訪れるべき国立公園です。
グラン・パラディーゾ国立公園 No.2 グラン・パラディーゾ国立公園では非常に数多いトレッキングコースを組み合わせる事が出来ますが、周回コースをメインにピエール・グレッピさんがガイドしてくれるビデオです。イタリアの気候は温暖湿潤の気候区分ですが、このアルプスエリアは亜寒帯の気候区分に近く、大西洋からの熱波で急激に天気が変わるため、天気には特別な注意が必要です。一方、日本の台風のような暴風雨はほとんどありません。
グラン・パラディーゾ国立公園 No.3 グラン・パラディーゾの登頂に焦点を当てたビデオです。ビデオの中ではアルプス登山の入門、として説明していますが、どうも次元の違う話のようです。山頂は非常に狭いです。
ヴァッレ・ダオスタ州の見どころ ヴァッレ・ダオスタ州の見どころは多すぎます。それをあえて10個に絞ったビデオです。言葉での説明はなくドローンによる空撮が基本構成です。この中ではモンテビアンコ・スカイウエイからの眺めが圧巻です。
モンテビアンコ・スカイウエイ No.1 ヴァッレ・ダオスタ州は英語だとアオスタ・バレーということになりますが、ここは基本的にフランス文化です。言語もフランス語でイタリア語とともに公用語になっています。それだけにスカイウエイも非常にエレガントで驚異的なレベルの美しさを誇ります。 ビデオでは標高3,400メートルを超えるプンタ エルブロンネールまで行くスカイウェイ モンテ ビアンコと、標高3,842 メートルのエギーユ デュ ミディまで行くパノラマ ロープウエーの構成となっています。
モンテビアンコ・スカイウエイ No.2 基本的にはNo.1と同じ構成ですが、途中丁寧にビデオの中に山の名前を記してくれています。朝早すぎるせいか混雑がほとんどありませんね。やっぱり山は早朝に限るようです。
モンテビアンコ登山 モンテビアンコ(4808m)にロープウエーの頂上駅であるエギーユ デュ ミディから登頂するビデオです。ここから約1000mの標高差になりますが、酸素濃度といい、強者だけが登頂可能なコースのようです。また山の名前は、このあたりでは言語によって違います。イタリア語ではモンテビアンコ(Monte Bianco)ですが、フランス語ではモンブラン(Mont Blanc)、どちらも「白い山」という意味になります。登頂時期は6月25、26日と残雪多い時期ですが、岩山の形状を見ると非常に鋭く削られていて、残雪がないと登頂困難なのかもしれません。
チェルビーノ村トレッキング 30分と長いビデオですがチェルビーノ村をトレッキングしてくれるビデオです。おそらくご夫婦だと思いますがフランチェスカさんとロベルトさんが楽しそうにずっとしゃべり続けています。中盤天気が悪くなってしまい残念ですが、日本アルプス同様に天気が急変するのがアオスタバレーの特徴で、スペインやイタリア南部の地中海性気候とは大きく違う点でもあります。 ※イタリア語から日本語への自動翻訳が利用出来ます。
チェルビーノ登山 チェルビーノ(Cervino)山(4478m)はイタリア語ですが、ドイツ語ではマッターホルン(Matterhorn)、フランス語ではセルヴァン(Cervin)です。安全に登れるよう整備され、すごい場所に避難所が建設されているとはいえ過酷な登山ですね。 たとえ登らなくても麓にあるチェルビーノ村は夏はトレッキング、冬はスキーと人気の高い観光地となっています。ここはもうスイスとの国境です。
ドロミーテ ベッルーネシ国立公園 こちらは40分と長いドロミーテのハイキングビデオです。トレントから東に進んで行くとヴェネト州にはいります。こちらはドロミーテの中でもあまり観光地化されておらず静かに自然を楽しむ事が出来ます。また岩山を環状に回るハイキングコースを中心に様々なレベルの登山道が用意されています。※イタリア語から日本語への自動翻訳が利用出来ますが、かなり熱く語っています。
マドンナ・デッラ・コロナ教会 崖の上に建てられた美しい教会です。イエス・キリストの墓がここにあるのは不思議ですね。エルサレムの聖墳墓教会にあると言われてはいますが。それが本当なら生きてこの場所にイエス・キリストが来られことになるでしょうか?。でもイスラム教を創設したムハンマドはなんと「イエスは十字架では死んでいない。」と言い出してしまったのです。それは非常にもめるはずですね。でも、それでは一体どちらに行かれたので?という疑問が沸き起こります。 ピラト総督がイエスを国外追放にしてローマあたりに送ったのであればイエスの墓がここにあるのは不思議ではありませんね。現在のバチカン市国がローマにあるのもうなずけます。 この奇跡のような教会は歴史の奥深さを教えてくれているように思います。
マドンナ・デッラ・コロナ教会 空撮 こちらはマドンナ・デッラ・コロナ教会の空撮です。一般常識では中世において教会をこの場所に建設する事は不可能な事がわかります。その為には英知と技術とモチベーションが必要です。一体、それは何だったのでしょう?
サン・ピエトロ大聖堂 No.1 バチカン市国はローマにある小さな国で、カソリック・キリスト教会の総本山です。その大きさと美しさには圧倒されるばかりです。
サン・ピエトロ大聖堂 No.2 このビデオではサン・ピエトロ大聖堂の内部を見せてくれています。2025年4月21日にフランシスコ教皇が逝去されました。教皇はアルゼンチン出身の方で、多宗派間の対話や協力に力を注がれており、さまざまな宗教間の交流を促進され、2015年には54年ぶりに米国とキューバの歴史的な国交回復を仲介されたりしています。多宗派間の対話に関しては、特にイスラム世界に精力的に訪問されておりました。また司祭が同性カップルを祝福することを承認されたりしています。
日本人から見ると、キリスト教とイスラム教は歴史的にいつも戦っているイメージかと思います。たしかに同じ聖典を使用しているとはいえ教義が違うことは確かです。でも、それが故に、何と何が戦いのねたになっているのかわかりにくいです。 そこで日本人的視点で両方から一切の教義的内容を削除して考えてみました。すると意外にすっきりします。 戦っていたのはキリスト教会の聖職者を頂点とするピラミッド型の権威主義的コミュニティと、イスラム共同体を単位とする中心を持たない網目状のコミュニティとの闘い、ということになります。そうなると「あれ?現代も同じなのでは?」という気がします。インターネットで接続された世界規模のコミュニティと、これを阻止しようとする独裁政権との闘い、と見ることは可能かもしれません。 ムハンマドが言いたかったのは、せっかくイエスによって人類が獲得した「何者にも束縛されない自由な魂でいる喜び」は権威主義社会においては享受する事が出来ない、という事のようです。 中世におけるスペインでユダヤ教、キリスト教、イスラム教が見事に融合していたのも権威主義社会ではなかったから出来た事だったのでしょう。残念ながらレコンキスタによって再びスペインは権威主義社会へ戻ってしまうことになりますが、一度輝いた光は決して消せるようなものではなかったのでしょう。
サンマリノ共和国 No.1 サンマリノが誕生したのは301年だとか。それからずっと独立国家であるのは不思議ですね。面積は日本の十和田湖と同じくらいで険しい要塞のような山で形成されている国です。主要産業は観光で、芸術品のような切手が有名です。世界中にコレクターがいるのだとか。最初はローマ皇帝から迫害を受けたキリスト教徒によって作られた国だそうで。まるで要塞のような街並みは、その影響なのでしょう。
サンマリノ共和国 No.2 5分くらいでサンマリノの説明をしてくれるビデオです。
サンマリノ神社 サンマリノには日本の神社が建立されています。何故?それは東日本大震災の鎮魂のためだそうです。サンマリノはローマ皇帝の迫害を逃れて出来た国で、建国の精神として「信教の自由」を強く理念として掲げていたようです。またイスラム世界と同じく権力集中を排除する共同体文化で、権威主義的ローマ・カソリックとは一定の距離を置いて接していたようです。 日本の神社をサンマリノに建立するアイデアが受け入れられるのもすごい事かと思います。神道の「自然が神様」という考え方を受け入れられるということは、イエスを人間と考えていたキリスト教初期にあったアリウス派に近いとらえ方なのかもしれません。
シチリア島 エトナ火山 シチリア島にあるエトナ火山は標高3326mにもなるヨーロッパ最大の火山です。過去何度も噴火を起こし1万人を超える死者を出したこともあります。現在は安定しているようで、かなり標高の高い地点までバスで行けるようですね。ガイドさんの人柄も素晴らしいです。
ガルガーノ国立公園 イタリアの中部から南部にかけて広がるプーリア州はほとんどが丘陵地帯で高い山は全くありません。国民性も北イタリアのようなドイツ・オーストリア的で勤勉な性格とは違い、海洋的でのんびとしています。また近年は、バルカン半島諸国(アルバニア、マケドニア、モンテネグロ、セルビア)との強固な経済的協力関係を築いています。 ※英語から日本語への自動翻訳が利用出来ます。
ガルガーノ国立公園 空撮 こちらはドローンによる空撮です。なだらかな丘陵は北イタリアとは別世界です。
トリノ No.1 トリノはミラノと同様の北イタリアの大都市ですが、フランスとの国境が近いため、フランスとの国境にあるグライエアルプス山脈が遠景に見えてきます。 なかでもモンブラン(4807m)は有名ですが、イタリア国内ではグラン・パラディーゾ (4061m)はグラン・パラディーゾ 国立公園が整備され、非常に人気の高い観光地となっています。またトリノは言語によって発音がかなり違います。イタリア語ではトリーノ、英語ではテュリンだったりします。
トリノ No.2 カステッロ広場 カステッロ広場はトリノにある有名な広場です。広場の中央には城があり名前の由来となっています。 アカハ城は13世紀に遡るユネスコ世界遺産で、1700年に正面に宮殿が建てられ、2人の王妃の住居となったことから「マダマ宮殿」と呼ばれています。カステッロ広場にはサン・ロレンツォ教会もありますが、広場の統一性を保つために正面がないのが特徴的です。また1563年から1946年までサヴォイア家の居城であった王宮もあります。1946年イタリア国民が国民投票で共和国を選択した時期です。 このビデオでは説明されていませんが、イタリアが君主制か共和制かを決定したのは国民投票よるもので僅差で共和制となりました(共和制54.27%/君主制45.73%)。地域別にみると北部は共和制、南部は君主制と綺麗に分かれた格好となりました。 同じイタリアといっても北部と南部で全然文化が違う一面を見るようです。一般的には北部は科学技術、工業、ファッションが中心で南部は農業が中心という位置づけになりますが、個人レベルの話になると現代核エネルギー開発の父とも言える物理学者のエンリコ・フェルミはローマ出身なので文化とはわからないものです。 ※イタリア語から日本語への自動翻訳が利用出来ます。
トリノ No.3 ヴェナリア王宮 ヴェナリア王宮の内部と庭園を歩いて撮影してくれいるビデオです。25分と長いのですが、その分、巨大な王宮の様子を存分に伝えてくれています。
ヴェナリア王宮は6世紀から18 世紀にかけて建てられたサヴォイア王家の邸宅でユネスコ世界遺産に指定されています。2007年10月に一般公開されて以来、主要な観光地となりました。また2017年にはイタリアで6番目に訪問者が多い博物館となりました。
トリノ No.4 トリノ大聖堂 トリノ大聖堂とは聖ヨハネ大聖堂のことで、Cattedrale di San Giovanni Battista (サン・ジョヴァンニ・バッティスタ大聖堂)と長い名前が正式名です。 ここにはイエスの聖骸布が保管されていることで有名です。
聖骸布とは十字架にかけられたイエス・キリストの遺体を包んだとされる布のことで男性の全身像が横4.37m 縦1.11mのリネン布に写し出されているようです。 敬虔なキリスト教信者は、現在もキリストその人の像だと信じているようで、現在はバチカンの監督下にトリノ市が厳重に保管しています。いつも公開されているわけではなく公開時期はローマ法王が決定するようで、次回は2025年を予定しているとのことです。
現在でも聖骸布の真偽のほどは定かではありませんが、科学的分析もなされた模様です。「この布には腐敗の痕跡がない」のだとか。ムハンマドによればイエスは死んでいないのだから当然ですね。ピラト総督の偽装工作でガレー船に乗せられて国外追放となり、聖骸布と共にローマに来ていたのであれば何の不思議もない事になります。 果たしで実際はどうだったのでしょう?
トリノ No.5 トリノ大聖堂と聖骸布 トリノ大聖堂の外部と内部を巡って、その素晴らしさを伝えてくれるビデオです。 ムハンマドが指摘するように、イエスが生きていたとするならば最終的には何処へ行かれたのでしょう?十字架がピラト総督の偽装工作ならば少なくともローマには立ち寄っていた事でしょう。でも、その先は? 思い当たる事がひとつあります。
それはアメリカ合衆国にはモルモン教会がある、という事です。その信仰のひとつに、イエスはアメリカを訪れた、というものがあります。案外荒唐無稽な話ではないのかもしれません。さらにモルモン教会には十字架がありません。生存していたと考えれば、それは当然だったのですね。するとイエスはアメリカ合衆国に将来を託して世を去った事になりますが、果たして現状の合衆国はどうなのでしょう?
ラツィオ州 ローマ イタリア共和国記念日パレード 毎年6月2日は共和国記念日でローマでは壮大なパレードが行われます。このビデオはその模様を30分程にまとめたものです。少々長いですが部隊毎に制服が違い、さらに個性があるのでのでパレードとしては圧巻です。パレードもカッチとした行進ではなく、少しゆっくりと自由に歩いている感じです。特に美しい女性隊員が一杯登場してくれるのは嬉しいですね 第二次世界大戦はもう80年前ですから、ほとんどのイタリア人にとっては過去の話になりましたが、大戦終了後にロシアの捕虜となったイタリア兵の多くは故郷へ帰ることは出来ませんでした。その数推定50万人と言われていますが、正直なところ、一体何人なのかわからない、と言ったところでしょう。その方々の多くが今も眠っている場所が、現在戦時下にあるウクライナです。戦後は冷戦下となったため、ろくに尋ねていくことも出来ませんでした。そのため現在のウクライナ戦争に特別な感情を抱くイタリア人は、現代でもまだ相当数いるようです。一日も早く平和が訪れると良いのですが。
ローマ ローマの見どころを非常に簡単にまとめてくれているビデオです。ローマの歴史は古いですが、他の都市と大きく違うのはバチカン市国があることでしょう。バチカン市国を独立国家として承認したのはムッソリーニですが、2000年以上も前にイスラエルで誕生したイエス・キリストの総本山が何故イタリアにあるのでしょう?不思議ですね。ローマとバチカン市国の関係は、イエスが生きていた時代を考えると、そのままローマ帝国の総督であったポンテオ・ピラトとイエスの関係のようにも思えてきます。そのくらいローマの中にあるバチカン市国は衝撃的です。決して目には見えないけれど確かに存在するもの。それがLoveということなのでしょうか? ※日本語訳が利用できます。
チネチッタ映画撮影所 京都にある太秦(うずまさ)映画村のように、ローマにはチネチッタ映画撮影所があります。現在は国営化されていて、スタジオは一般公開されていませんが展示コーナーがあるようです。 ※イタリア語から日本語への自動翻訳が利用できます。
ミラノ No.1 ミラノという日本語の発音ではロンバルティア州のミラノ(milano)の他にもヴェネト州のミラーノ(mirano)があります。北イタリアのミラノと言えばロンバルティア州のミラノのことです。このビデオはドローンによる空撮ですが、見てのとおり周囲に全く山らしきものはなく、また立ち並ぶビル群といい東京と似ています。 全体的に保守的なイタリアの中ではミラノはLBGTQにもフレンドリーと言われパレードも行われたりします。このあたりの事情は保守的なイタリアといえども近年急速に変わっているようです。前フランシスコ法皇がカソリック教会の司祭に対してLBGTQを祝福することを承認したことも大きいようです。そのせいなのか最近ではローマおよびその周辺でもLBGTQフレンドリーで自由な空気に変わってきているようです。
ミラノ 地下鉄 ポルタ ヴェネツィア駅 このビデオは地下鉄の駅を通過するだけの短いビデオです。スペインのマドリードにはチュエカというゲイタウンがありますが、ミラノにあるポルタ ヴェネツィアも負けてはいません。北イタリアは中部、南部と文化的に少し雰囲気が違う一面なのかもしれませんね。
ミラノ No.2 ミラノの魅力をよく伝えてくれるビデオです。イタリアはヨーロッパの人気観光国No.1で、どこもかしこも大混雑となっています。それだけに名所を見落とさないようにするためにはガイドさんと一緒に行動するのが良いでしょう。 ミラノの街はどこを切り取っても絵になります。きっと本当に文化を創造しているのは富裕層ではなく庶民なのでしょう。
ミラノ No.3 3日間でミラノを巡る究極のガイドだそうで!そのタイトルの通り、なんと25分間もの間、休む事無く熱く語りながらミラノの名所を全てガイドしてくれています。
ミラノ No.4 ミラノと言えばファッションの街、ファッションの観点からミラノを眺めたビデオです。35分もありますが全く飽きません。やっぱりミラノは特別な街だと感じます。
イタリアTV番組 Uomini e Donne(男と女) Uomini e Donneはイタリアのデート番組です。その他、男女の激しいバトルだったりする時もあるようです。この番組、男女のデート番組でしたがゲイのカップルにも扉を開きました。一体、どんな人が出演するのでしょう?ビデオの中で、白い服を着ている人がバルセロナに住んでいるスペイン人で黒い服を着ている人がイタリア人です。見た目では全く普通ですね。恰好良すぎです。 現在、このカップルがどうなっているかはわかりませんが、不思議な事にスペイン人とイタリア人のゲイのカップルとても多いのです。何かを補いあっているのかもしれません。またゲイのコミュニティには特徴があり、中世のイスラム世界のように中心がなく、強固な網目状のネットワークを築こうとする傾向にあります。ヨーロッパの中では国境を越えて、一番強固なネットワークを築いているコミュニティかもしれません。 ※イタリア語から日本語への自動翻訳が利用出来ます。
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